人生ゲームは割とつらい

私が子供の頃、父親が人生ゲームが大好きであった。
我が家は正月に家族揃ってゲームをして過ごすのが習慣であったので、大晦日から元日、長ければ2日にかけてまでずっと人生ゲームをやらされた。
私は不動産ゲームやマージャンもどきのほうが好きであったが、とにかく父親がやたらとやりたがるので、しぶしぶ付き合っていた。

なぜしぶしぶだったかというと、子供の私にとってそのゲームは、これから先の人生の縮図であり、あまりに気がめいったのである。
もちろん、私は株で儲けて億万長者になったり、脱サラしてアイドルをめざしたり、カジノに行って有り金全部巻き上げられたりという劇的な人生は送らないであろうけれども、あのゲームのもつリアリティの濃度というのはそんなところでは図れない。
あの一台のワゴンに、段々と家族が増えていく経過。
ごくごく小さなプラスチックの棒ピンである私が結婚して、同じくプラスチックの棒ピンの嫁だか夫だかを迎えて、子供が産まれて出産祝いをもらい、家族分の保険や年金に頭を悩ませる。
そして子供が増えていく。
その子供が巣立っていく。
定年を迎える。
もしかしたら、その定年の前に職を失うかもしれない。
最初から最後まで、本当の人生のように何が起こるかわからないのである。
ルーレットの目で人生が決まるというのは、ある意味自分の人生が突如大きな力で動かされているように思う、あの思い通りに行かない歯がゆさを現しているかのようだ。
自分の人生を、そして家族を守っていくということの重み。
そんな重みを、私は大げさにもかの人生ゲームの中に見出しては、正月そうそう、先の人生について思い悩む羽目になったのだ。
結局大人になった今、その不安を現実世界で体験している。
今の私が人生ゲームをやったらどんな思いを抱くであろうか。
同じようにプレッシャーを感じて暗澹たる気持ちになるか、同じように翻弄されている棒ピンを見て共感するか。
来年の正月は、久しぶりにやってみようかと思っている。

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